【前編】なかなか長い上、アラフィフでハンドメイダーを目指す方へ ということで対象も狭いんです。この土日で、見て頂けたら嬉しいです

成功マインド

40代・50代からハンドメイドを始める方へ

はい、ボンボンチェリーハイジです。今日はちょっとハンドメイドと外れちゃうかもしれません。私と同世代の方に向けて、ちょっとお伝えしたい、と思うことがあって、お話しします。

このブログでは、ハンドメイド初心者さんに向けて、有益であろうと思われることを発信しています。私自身は、東京都目黒区にありますセレクトショップのオーナーであり、ハンドメイド作家でもあり、販売初心者さんに向けてコンサルのお仕事をしています。私のブログを見ていただければ、ハンドメイド販売初心者さんが活動しやすくなるという情報で構成していますので、ぜひ、参考にしてみてくださいね。


私、今52歳で間もなく53歳になるんですけれど、先日、同年代の方からご連絡いただいてね。近況などお知らせいただいて、ちょっと考えることがありました。私と同じ世代くらいの方が、ハンドメイドとどういう風に向き合ったらいいのかっていうのをお話ししたいなって思います。

ハイジの生い立ち

その前に私の生い立ちをお話ししますね。私は、高校生の時に専業主婦だった母がくも膜下出血で突然死したんです。実際には亡くなる2年くらい前に家の中で、気分が悪くなったっていうことがあって。そこから2年間、母の調子が悪かったんですよね、今みたいに病気についての情報がなかったんです。


母が亡くなってすぐに、テレビで活躍している俳優さんが同じ病気で亡くなって、それで「くも膜下出血って危険なんだって、そういう病気があるだ」って知ったような感じなんですよね。母は専業主婦だったんですけれど、昭和30年代にちょっと芸能の仕事をかじっているようなことをしていて。若い方ご存じないと思うんですけれど、芳村真理さんていうモデルさん・タレントさんいらして、芳村さんと同期だったなんて話を私は聞いていました。


母は本当にちょこっとだけっていう感じで、名前がすごく知られるっていうことも無かったみたいなんですね。ちょっとスチールのお仕事しているくらいで。当時、そんなことしている女っていうのは、華やかで派手な毎日を過ごしていたようなんですね。うちの父は役人でした、サラリーマンですよね。


結婚して専業主婦になるわけなんですけれど、当時は当たり前のように「いい嫁・いい母であらねばならぬ」という認識がありました。周りの目もご近所の目もありましたしね。近くに本家と呼ばれる私の祖父たちが住んでいる家があったりなんかして、窮屈な感じではあったんですよね。そんな母を見て育って私は、母はいつも幸せでないように見えていました。


こんなことを話していいのかしら。さらに亡くなる前、父とは家庭内別居をして上手くいっていなかったんですよね。そういうのもあって、何となく母は楽しそうっていう感じではなかったですね。

本来、冗談とか好きな人で、楽しいことが好きな人だったと思うんですけれど、亡くなる直前は体調の悪さも相まって辛そうでした。46で亡くなったんですよね、父はまだ45でした。父は母が亡くなって、すぐ再婚したんですね。


ここから先はどうでもいい話なんですけれど。私は当時中・高校生くらいで、友達との毎日の生活のことで頭いっぱいなんですよね。あと好きな人とか。自分の好きな外タレが日本にコンサート来るなんてなると、大騒ぎになっちゃう。チケット取る取らないだの、音楽事務所に修学旅行先の公衆電話から電話したりして。これは私と同年代の人しか分からないと思うんですけれど。そんな時代なんですよね。


父が役人・公務員だったので、例えば、事件事故を家族が起こすと、よく父にこんな風に脅されました。「お前たちが何かするとお父さんの名前が載るんだから」と。小さい時から言われてましたね。なので、本当に大人しく過ごしていた。それで私は長女なので、当たり前のようないい絵に描いたような娘でした。


ご存じの方もいると思うんですけれど、ほんの数年前までは、私は普通の主婦だったんですよね。でも5年・6年前になるのかな?父が亡くなったんですよね。それで私、やっと解放されたっていう感じがありました。


それまでは「いい娘でいなくちゃいけない」っていうのが、ずっとありました。見る人から見れば、私なんか本当に破天荒っていうか、変わっているっていう風に見えていたと思います。それでもどこかで、「いい娘でいなくちゃいけない、長女なんだし」って。父の葬儀も、私が出したんですよね。


父は再婚して、後妻さんいたんですけれど、色々ありまして。私が40代になって、当たり前のように生きてきたことに、ちょっと疑問を感じたし、怖くもなったんですよね。母が死んだ歳を超えたんですね。私が47のときに父が亡くなって、母は46で亡くなったんですよね。


母の歳に近づいてきたときには、私も体調を崩して手術を繰り返さなければならない状況で、半ば死を覚悟したりなんかして。実は子宮頸がんをやっています。最近の言葉ではサバイバーっていうんですって。


私の場合はラッキーで子宮頸がんの手術で子宮をまるまる残せたんですね。42で下の子を出産しました。予定なかったんですけれど、これは全く信仰心のない私でも、天の神様がもしいるとしたら、「もう一人くらい産んでみたら」って言われている気がして、下の子を42で産んでいます。


父が亡くなって、母が死んだ歳を超えて、何となく、ちょっとスイッチが切り替わった感じはあったんですよね。母も早く亡くなって、父も割と早い方だったので、人って死ぬときは簡単に死んじゃうなっていうのもあったんですね。いよいよ50手前になって、普通に平均寿命まで生きるとしても、せいぜい2,30年ですよね。そのなかで、何年元気で生きられるだろうって思ったんですよね。


70過ぎて、40代・50代みたいに同じように動けている人っていうのは、本当に限られている人。普段からトレーニングしているとかね。せいぜい、病気をしなかった場合、元気で動けるのは50歳からあと10年くらい。50を過ぎてくると、私の母もそうだったように、死のリスクが高まるわけです。突然死みたいなものも、20代・30代に比べると圧倒的に多くなるわけですよね。


それで、私は40代後半でお友達の奨めでアクセサリーを作り始めて、それを求める人が現れて。段々と自信がついてきて。子供たちが大きくなってきて、お金も益々必要になってきたので、「自分も働きに出なくちゃダメかな」とか、「再就職するにしても体調もあるし、どうしよう」って迷っていたんですよね。


そんな時に、ハンドメイドマーケットプレイス、通販サイト、オークションサイトの他に、自分で登録してギャラリーもしくはショップというところを持って、ネット上にお店を開けちゃうっていうことが、段々、世の中に浸透してきたタイミングでもあったんですよね。


私が2015年にボンボンチェリーハイジっていうブランドを作って、発表しました。その年の秋かな。minneさんが通販サイトのコマーシャルを打ち始めて、ワーッと広まって、登録者数も増えたっていう年でもあったんですよね。そういうタイミングの良さもあって、一歩踏み出してみよう、ハンドメイドでなんとかしてみようと思いました。


いよいよ、ここから私と同じ世代の方や、「今まさにハンドメイド始めました」「ハンドメイドをいよいよ本格的に軌道に乗せたい」っていう方に、役に立つんじゃないかなって思う話をしますね。

遠回りしていられない


さっきもお話ししたように、元気で働けるときなんて、上手くいって20年・30年ですよ。足腰元気でも頭がおかしくなるか、ぼけてしまうってこともあるので、10年かなっていうこともあって。そうなると、のんびりなんかしてられないわけですよ。


普通だったら「ハンドメイド販売始めました。数百円とか千円・2千円とかの安いもので始める。様子を見て、近所のフリーマーケットやバザーなんかで、先にやっているお友達のスペースを借りてやってみる。」ということから始める方多いと思うんです。でもそれは10代・20代の時間がある方がやることです。


「それではいつまでたっても、きちんと収入が得られるまでにならない」ということは、私がメーカーにいた経験と、営業をしていた経験から感じています。「物を売るっていうのは、そんな簡単なことじゃない」っていう風に思っていたので、「安い物から始める」「お友達のスペースを借りてやる」というまどろっこしいことは、やってられないって思いました、正直。


ただね、私の周りを見ても、ハンドメイドで販売している人がいなかったんですよね。なので、私の場合は、ハンドメイドブログを見たりとか、ネットで「ハンドメイダーと呼ばれる人は何をしているんだろう」っていうのを探りましたね。


本当にね、ハンドメイダーって呼ばれる人たちは、作ることは一生懸命でも、売ることに関しては、全くダメなんですよね。あえて、ダメって言葉を使っちゃいます。でも、それは当然なんです。仕方がないんです。誰も教えてくれないんですよ。


それで私その時に愕然として、「これはダメだ」と思いました。ハンドメイド業界自体が成熟していなかった訳ですよ。通販サイトであっても、ノウハウが無いわけです。ビッグデータが未だ無いというかね。


今、少しずつ蓄積されて、おそらく「こういう傾向で、どういう物が売れていて、どういう物を作ったら、それがどれくらい売れるか」っていうのを、予想できるようになると思うんですよね。ただ、アートに近い分野とか、サービスに近い分野は、AIが参入しにくいんじゃないか、とも言われているんですね。

ものを売るために宣伝は必須


だから私たち、まだチャンスある訳です。メーカーで宣伝のお仕事をしていたので、物を売るときには、宣伝がくっついてきて当たり前だって思っていたんですよ。ハンドメイドされている人って本当に宣伝力が弱いんですよね。


企業が何千万、何億円、大きな金額だと何十億円、何百億円超えるようなこともあると思うんですよね、宣伝費だけで。そういうところに企業が莫大なお金をつぎ込んでいて、利益の20%が宣伝広告費とも言われています。必ずしも、その数字が私たちと直接関係があるわけではないと思うんですけれど、それくらい大きな金額をつぎ込んでいるんですよね。それでも売れないものが大多数なんです。


大ヒットしなくても、そこそこ売れていけばいい。そういう企業もいっぱいあって、利益率が高ければいいって考え方もあります。必ずしも、ドカンっとヒットしなくてもいいんですけれど、とにかく物を売るのに、宣伝っていうのは絶対に必要になってくるんですよね。

時間は永遠ではない


アラフィフでスタートした人間としては、まず「遠回りできない。まどろっこしいことはしてられない。宣伝の効果を最大限に生かさないといけない」と思いましたね。かといって個人で広告宣伝費どれだけかけられるかっていうと、たかが知れている訳です。


月に数万円でもあんまり意味ないかもしれないんですね、20万くらいかけられて始めて少し効果がある。でもそんなことを継続してやっていけないわけですよ。当時の私を含めた売れていもいないハンドメイダーは、そんなこと続けられない訳ですね。じゃあ、どうするかを私はすごく考えました。


ちょうどminneさんのCMも始まったし、通販サイトも充実してきて、ブログですとか、SNSも自由に使えるようになってきたわけですよね。そういうものを、私は出来うる限り使いました。難しいのは、「商品を作って、ただそれをコマーシャルしたら、お客様が商品を買って下さるか」っていうと、それまた違うんですよ。


私、営業を最初は嫌々で、3ヶ月毎日泣きながら帰ってきたんですけれど、営業の経験がものすごく役に立ったんですよね。宣伝と営業っていうのかな、営業力ですよね。販売力とも言っていいと思います。お客様にね、どうやったら、買ってもらえるかっていうのを、何年も、何年も、常に考えてお仕事してきた時代があったんですよね。


色々試した結果、「こうだな」って思うものもありましたし、実際にマーケティングだの、セールスだのっていう分野を勉強してみると、「間違ってなかったな」って思うんですよね。なのでそれについて、細かくお話ししたいなって思っていて。他の動画でも少しずつ話してはいるんですけれど、具体的に、営業・販売をどういう風にしたらいいかっていうのは、長くなっちゃうので、次の機会に話したいと思います。


今日はとにかく、私と同世代の人で「これから始めたい」っていう人に伝えたいのは、「私たち、そんなに時間ないです」ということ。20年30年経った時に振り返って「私、今こんなに元気でいられるんだ」って言えたらラッキーです。


だから本当に言いたいんです。時間ないんですよ、私たちって。本当にハンドメイドで何とかしたいって思ったら、遠回りしないことをお奨めします。じゃあ具体的に何するかっていうとね、長いので、次の機会にお話ししますね。


東急東横線学芸大学駅徒歩2分、ボンボンチェリーハイジの店に、ぜひ、遊びにきてくださいね。私のほかに、色んなクリエイターさんの商品お預かりしています。きっと勉強になると思うので、ぜひ、いらしてくださいね。お待ちしております。

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